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27度線分断の痛みを越えて、沖縄から世界平和を発信

夜の辺戸岬

沖縄県実行委員会は、7月21日深夜から国頭郡国頭村の辺戸岬を出発し、ライダーたちが自転車で交代しながら137kmを夜通し走り、糸満市の平和記念公園を目指しました。また、22日朝5時30分からは青年・学生ら約20名が徒歩で同 平和記念公園までの24kmを歩きました。

真夜中の自転車走行

真夜中の自転車走行

夜明けのひと時

夜明けのひと時

夜明けの美しい空と共に

夜明けの美しい空と共に

那覇市内

那覇市内

走り切った後の朝食はうまい

走り切った後の朝食はうまい

徒歩で平和記念公園を目指す

徒歩で平和記念公園を目指す

楽しみながら歩く

楽しみながら歩く

自転車チーム、平和記念公園に到着

自転車チーム、平和記念公園に到着

平和祈念堂前

平和祈念堂前

徒歩チームもゴール

徒歩チームもゴール

 


沖縄が1972年に日本本土に復帰する前は、この出発点である辺戸岬は日本に一番近い所でした。朝鮮半島においては38度線が分断線ですが、沖縄と日本本土においては27度線が分断線だったのです。復帰後、この地には「祖国復帰闘争碑」が立てられました。
またゴール地点の沖縄平和祈念堂は、第2次世界大戦で軍民合わせて24万人の尊い人命を失ったことに対し、悲惨の戦争を二度と繰り返さぬよう世界の人種や国家、思想・宗教を超越した“世界平和のメッカ”として建設されたものです。

祖国復帰闘争碑
全国のそして世界の友人に贈る。
吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなしとげた大衆の乾杯だ。
打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間開放を闘う大衆の叫びだ。
鉄の暴風やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、一九五二年四月二十八日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。
米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。
祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声はむなしく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬せられた。
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯あることを信じ、全国民に呼びかけて、全世界の人々に訴えた。
見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、二十七度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。
今踏まれている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚き火の大地なのだ。
一九七二年五月十五日、沖縄の祖国復帰は実現した。
しかし県民の平和の願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。
しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのではなく、まして勝利を記念するためにあるのでもない。
闘いを振り返り、大衆を信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理のもとに生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。

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